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怖いけどスイスにも地震は来ます、と昔住んでいたお家の話題 [自己紹介]

土曜日に国連に努めている友人数人と夕ご飯に私が働いている本店にお寿司を食べに行きました。その内の一人の彼は(私の彼氏ではありませんイタリア人)今リビアの仕事を引き受けていて寝る暇もなく働いています。ってお寿司食べてるのはと思うかも知れませんが、お忙しいさなか一人娘さんの為にといらしたのでした

そんなその方の仕事は衛星写真や映像でリビアから難民がどれだけどこへ向かって逃げているか、どこで戦闘が起きているかなどを調べる国際機関内の任務ですが、活躍されているのですごい方だと思いました



又、今回のニュージーランドでの地震のニュースから目が離せません
クライストチャーチにはニュージーランド人のお友達もいて、又私が高校一年生の時にオークランドの高校で語学研修をしホームスティしていたので思い入れが沢山あります


チューリッヒのAltstetten(アルテシュテッテン)のLetzi Park(レッツイーパーク)の系列のマンションにしばらく住んでいた時の事です


ある日一人でキッチンに立っていると、突然グラグラグラ~とかなり長いこと揺れました


「えっえーーー!!」


私はその時までスイスと地震とは全く無縁の国だと思っていました
だから一瞬自分が立ちくらみが下とか気のせいとか思ってしまいましたが揺れる壁の飾りや戸棚をみて本物だと初めて悟ったのですが、大したことがない小さな揺れだけだったことは確かです


しかし、バーゼルなど大きな地震が50年から100年単位で起きているそうですが今のところかなり長い間起きていないので逆に心配だと聞いたことがあります。それが関東地方の事情に似ていて心配~(・_・;)



震度3でも危なそうな我が家の姿(1909年に撮影されたもの)の今も変わらない昔の写真




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スイスの地震に関してのサイト→スイスで地震


又興味のある方は「スイス、地震」などでググってみて下さいね



以前の実家(離婚したスイス人の元義理母や義理父が住んでいたところ)



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ちょうど25年前にここで同居生活をしていました
掃除はきちっと、すべての物にアイロンをかけさせられて(遠い目)厳しい義理母でしたが可愛がってくれました
元来怠け者に生まれついていた私にとって、特に冬の早朝の雪かきは大変でしたよ(遠い目アンコール)




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ここ最近訪れる機会に恵まれて本当に久しぶりにお邪魔しました、私の娘たちは初めてです



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2階のバルコニーからはアルプスの山々がのぞめます


ここはBaden(バーデン)からバスで20分ぐらい行った場所でバーデンと言えば温泉で有名です
とは言っても、水着着用のぬるい温水プールの様なものですが、以前ニュージーランドで行った温泉を思い出しちょうど似ていると思いました



ずっとそこに飾ってある前の旦那の写真、小さいころは子供だから例外なく可愛かったみたいです(-_-;)



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私がこちらで同居してお世話になっている時、両親、妹、元夫と私合計5名で暮らしていました

のちに妹の夫となる隣の家のクラウディオもよく遊びに来ていたのでとても賑やかでしたが、義理の父も亡くなり妹も結婚して出たので(この間ヨーロッパパークに行った妹家族です)今は、義理母がたった一人でこの広いおうちで暮らしています


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沖縄に行って初めてのご挨拶 [自己紹介]

今日も水シャワーだったよ[むかっ(怒り)][むかっ(怒り)][むかっ(怒り)]

ジュネーブはちらっと雪が降りました



私が彼とお付き合いをはじめてから4年半、彼のおじい様にご挨拶に行きました


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場所は平和祈念公園の平和の礎


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平和の礎は、国籍や軍人・民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなった全ての人々の氏名を刻んだ祈念碑です


おじい様は兵隊に行き、那覇市国場(こくば)近くの橋のところで多分亡くなったのであろうという事でした


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それは負傷して置いて行かれてアメリカ軍に捕虜にされた人が、おじい様を見た最後の姿で置いていくのも断腸の思いでされたことと思います
逆に負傷してアメリカ軍につかまったその方は生き延びることが出来ました
もちろんおじい様の遺骨も収集できないままになっています



この公園の入り口には、コンピューターが設置してあり、まず戦没者の出身地や名前などを聞かれます
女性の声なのですが、淡々としていて怖くも思えます
そこで、おじい様の名前がある場所や亡くなった場所などが表示される仕組みになっています



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ここにご挨拶に来れたことに感謝してお花を置きました


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沖縄戦は日本国内の最大規模の陸戦であり、まずアメリカが上陸したのは彼の出身地でもある北谷町(ちゃたんちょう)からだったそうです



彼お父さんは当時小学生ですぐにアメリカ軍の捕虜になったそうです

お母さんは負傷しながらも、あのひめゆりの塔がある方向の南へ南へと逃げたそうです
途中、あの沖縄特有の大きなお墓や、洞窟は軍人や人が溢れていて入らせてもらえなかったそうで、途中で捕まってしまったという事です

捕まったから、こうして生きてこられたという事を話して頂きました


アメリカ人らしき家族が英語で彫られた戦没者の礎を熱心にさがしている姿を目にしました


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刻銘者数は2009年時点で24万856人
蜂の巣作戦と言って彼の生まれ故郷北谷町は一平方メートルにつき何発の爆弾を投げ込まれたかわからないぐらい徹底的に打撃をうけたそうです

日本唯一の上陸戦争で沖縄の受けた傷はまだ深く、今の明るい沖縄の雰囲気からは想像できないぐらいだと思いました



彼のご両親はとても暖かな方で、4日間の滞在期間、本当に大切にして頂きました
5人兄弟とその子供たち11人も集まり賑やかで楽しいお正月を迎えました



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