沖縄に行って初めてのご挨拶 [自己紹介]

今日も水シャワーだったよ[むかっ(怒り)][むかっ(怒り)][むかっ(怒り)]

ジュネーブはちらっと雪が降りました



私が彼とお付き合いをはじめてから4年半、彼のおじい様にご挨拶に行きました


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場所は平和祈念公園の平和の礎


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平和の礎は、国籍や軍人・民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなった全ての人々の氏名を刻んだ祈念碑です


おじい様は兵隊に行き、那覇市国場(こくば)近くの橋のところで多分亡くなったのであろうという事でした


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それは負傷して置いて行かれてアメリカ軍に捕虜にされた人が、おじい様を見た最後の姿で置いていくのも断腸の思いでされたことと思います
逆に負傷してアメリカ軍につかまったその方は生き延びることが出来ました
もちろんおじい様の遺骨も収集できないままになっています



この公園の入り口には、コンピューターが設置してあり、まず戦没者の出身地や名前などを聞かれます
女性の声なのですが、淡々としていて怖くも思えます
そこで、おじい様の名前がある場所や亡くなった場所などが表示される仕組みになっています



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ここにご挨拶に来れたことに感謝してお花を置きました


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沖縄戦は日本国内の最大規模の陸戦であり、まずアメリカが上陸したのは彼の出身地でもある北谷町(ちゃたんちょう)からだったそうです



彼お父さんは当時小学生ですぐにアメリカ軍の捕虜になったそうです

お母さんは負傷しながらも、あのひめゆりの塔がある方向の南へ南へと逃げたそうです
途中、あの沖縄特有の大きなお墓や、洞窟は軍人や人が溢れていて入らせてもらえなかったそうで、途中で捕まってしまったという事です

捕まったから、こうして生きてこられたという事を話して頂きました


アメリカ人らしき家族が英語で彫られた戦没者の礎を熱心にさがしている姿を目にしました


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刻銘者数は2009年時点で24万856人
蜂の巣作戦と言って彼の生まれ故郷北谷町は一平方メートルにつき何発の爆弾を投げ込まれたかわからないぐらい徹底的に打撃をうけたそうです

日本唯一の上陸戦争で沖縄の受けた傷はまだ深く、今の明るい沖縄の雰囲気からは想像できないぐらいだと思いました



彼のご両親はとても暖かな方で、4日間の滞在期間、本当に大切にして頂きました
5人兄弟とその子供たち11人も集まり賑やかで楽しいお正月を迎えました



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